国立感染症研究所

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HCVの感染増殖系
 
(1) ウイルス研究におけるウイルス増殖細胞系の重要性
 なぜ、ウイルス研究ではウイルスを培養することが必要であろうか?1983年に発見された人免疫不全ウイルス(HIV)は、1985年にAZTが抗 HIV効果を持つことがわかり、1987年には臨床で用いられた。その後、様々な薬効の抗HIV薬が開発され、現在ではHAART療法として多剤を併用す ることにより、HIV感染患者の予後が著しく改善した。これはHIVが発見当初から培養細胞でのウイルス増殖が可能で、ウイルス培養系を用いた抗ウイルス 薬のスクリーニングが可能であったことが大きな要因である。

(2) 感染性クローン
 1989年にHCV遺伝子がクローニングされてから、C型肝炎患者血清中のHCVを培養細胞に感染させウイルス増殖細胞系を作製する方法の確立はHCV 研究の最大のテーマであった。生体内での標的細胞である肝細胞を由来とする細胞株、またリンパ球系細胞で数多く感染、複製が調べられたが、観察できるウイ ルスはPCR法でようやく検出できる程度であり、詳細なウイルス研究への応用は難しい状況であった。一方、実験動物では、チンパンジーのみに感染が可能で あった。1997年、Riceらは、クローニングした多くのcDNA からコンセンサス部分を抜き出すことによってチンパンジーに急性肝炎を発症させることが可能な感染性クローンの構築に成功した(Kolykhalov et al., 1997)。これにより、感染性クローン遺伝子の一部を改変することでその遺伝子および蛋白の機能を調べるリバースジェネテイックスの手法がHCV研究に おいても可能になったわけであるが、この感染性クローンはチンパンジーでのみ増殖が可能だが、培養細胞に感染できるウイルスは得られなかった。倫理的な問 題やコストの面からチンパンジーの利用は進まず、研究面での貢献は厳しかった。

(3) 三次元化細胞培養システムを用いたHCV感染実験系構築の試み
 HCVはチンパンジーでの患者血清感染実験、およびRNA導入実験が成立するにも関わらず、培養細胞では感染が成立しない状況から、単層培養細胞では失 われているが個体では保持している何らかの細胞機能がHCV粒子の複製および細胞外への放出に関与していることが推測された。培養細胞と個体との違いは細 胞集団の均一性、免疫システムの有無等数多く存在する。細胞そのものに着目した場合に大きな違いとなるのは、個体において細胞は三次元的に構築されるのに 対し、通常の単層培養では二次元的である点である。  筆者らの研究室では、ラジアルフロー型バイオリアクター(RFB)で細胞を培養すると通常の二次元培養で失われてしまった種々の細胞機能が回復すること に着目し、HCV感染増殖系への応用を試みた(Aizaki et al., 2003)。このシステムは人工肝補助装置として開発された。培地のpH等を調整する調整槽と細胞が定着するための担体が充填されたカラムから構成されて いる(図2A)。培地はポンプによりカラムへと送られ、カラム内では図2Bに示したように担体の外側部から円中心軸に向かい、放射状(ラジアル)に流れ る。このため三次元構造を有する担体中で培養している細胞への栄養や酸素の供給が均一になる。

 このカラム中で培養した肝細胞は、通常の単層培養に比べ、遥かに本来のヒト肝臓に近い機能、形態を示すことが知られている。高分化型ヒト肝癌細胞株をこ のRFBで培養することにより、細胞あたりのアルブミン産生・分泌能や肝特異的薬物代謝酵素群の発現が亢進すること、また、組織学的解析から球形、方形の 形態を維持し、極性細胞に特徴的な細胞間ジャンクション構造を有することなどが報告されている(Kawada et al., 1998, Matsuura et al., 1998, Iwahori et al., 2003)。そこで、ヒト肝細胞癌由来細胞FLC4をRFB内で培養し、HCVゲノムRNAを導入した。RFBより流出する培養液をサンプリングして HCV-RNA量をRT-PCR法にて検出したところ、感染開始後1-2日は陽性であったものの、一旦陰性となり、16日目から50日目まで持続して陽性 であるという結果が得られた(図3A)。この結果より、感染したウイルスがRFB内で複製し、上清中に放出されたと考えられる。また、ウイルス粒子構成蛋 白のひとつであるcore蛋白も培養上清から検出され、さらに電子顕微鏡により上清中のHCV粒子の存在が確認された(図3B)。以上、RFBシステムを 利用した実験から、三次元培養によって組織学的、生理学的に肝臓に近い環境を作ることで、HCVの粒子形成過程が効率よくプロセスされる可能性が示され た。HCV構造蛋白及びゲノムRNAのアセンブリーに関わる宿主因子(群)を同定し、それらの相互作用解析が進めば、より実用的なHCV実験系の開発につ ながるものと期待される。そのためには、ヒト肝細胞の二次元培養系と三次元培養系との細胞生物学的な比較検討も重要になるかもしれない。しかしながら、依 然としてそのHCV増殖レベルは必ずしも効率が良いものでなく、よりウイルス生産効率にすぐれ、汎用性の高い培養系の登場が期待されていた。


(4) HCVレプリコンの開発
 ポリオウイルスやフラビウイルスなどのプラス鎖RNAウイルスの研究から、HCV複製は、HCVゲノムと非構造(NS)蛋白が細胞質内の膜構造におい て、宿主蛋白と共に複製複合体を形成することから始まると考えられている。HCVゲノムは、5'UTRの塩基配列が最も保存されており、ウイルスの複製に 非常に重要である。さらに、リボゾームが5'UTRの途中に結合し蛋白合成を開始できる IRESが存在し、ウイルス蛋白翻訳においても重要な働きをしている。また、HCVの3'UTRはvariable region、poly(U)配列、3'Xと呼ばれる3つの領域から構成されており、いずれもHCVの複製に重要な役割を果たしている。HCVNS蛋白に ついては、NS5B遺伝子のコードする RdRpが複製において中心的な役割を担っているものと推定されている。しかしながら、強制発現させたRdRp を精製し解析したところ、その活性は鋳型特異性がなく、複製産物の長さは鋳型と異なった。一般的に、鋳型特異的なRNA合成には細胞因子や他のNS蛋白が 必要と考えられている(Lai M.M., 1998)。以上のことから、HCV複製の研究にはNS5Bだけでなく、他のNS蛋白や宿主因子が結合した複製複合体を維持した上での解析が重要というこ とが考えられる。従って、HCVレプリコンシステムはHCVゲノムの複製機構を解析する上で非常に有効と期待された。  1999年、Bartenschlagerらは、本来HCVゲノムの中でウイルス粒子を形成する構造タンパク質領域を薬剤耐性遺伝子に置き換え、その下 流に、より強力にHCVゲノムの内部から翻訳させる働きを有するencepharomyocarditis virus (EMCV)のIRESを挿入したRNA レプリコンを作成した(Lohmann et al., 1999)(図4)。このRNAをトランスフェクトした細胞を薬剤存在下で培養することで、自律複製するHCV遺伝子配列を獲得したHCVゲノムと、更に このHCV遺伝子が複製しうる細胞を選択することを目指した。そして、このような HCV のRNA レプリコンの複製を許容できる細胞がトランスフェクトしたヒト肝細胞癌由来Huh7細胞の一部(わずか1/106)から得られ、これによりHCVで初めて タンパク質レベルでウイルスの複製・増殖を解析できる系が確立された。  その後、この系についての多くの報告がなされている。それらによると、レプリコンには細胞障害性は全くなく、レプリコンの複製と翻訳効率は細胞の増殖と 相関している。さらにレプリコンゲノムが細胞に適応し、数百倍も複製効率が良いものへと変異しうる (adaptive mutation)ことがわかった。これらの変異はNS3からNS5Bに至る非構造タンパク質遺伝子で広範囲に認められたものの、これらの変異を感染性ク ローンに導入し、チンパンジーで感染実験を行っても、その複製効率の変化はレプリコンの結果と一致しないことから、これらの変異は培養細胞系に特徴的なも のと考えられた。以上のように、レプリコンが細胞内で増殖するためには、特定の条件を備えた細胞と特定の変異を持ったウイルス遺伝子の相性が合う必要があ ることがわかった。


(5) シュードタイプウイルス
 前述のレプリコンは、HCVの生活環のうち、細胞内のウイルス複製に限局した実験系である。そこで、ウイルス感染初期過程においてウイルスと標的細胞の 結合を解析するために、代用実験系(サロゲートモデル)が開発されている。そのひとつは、HCVの全構造蛋白(コア、E1、E2、(p7))からなるウイ ルス様粒子(HCV-LP)である。組み換えバキュロウイルスを用いて高発現させることで、昆虫細胞内にHCV-LPを作成することができ、精製した HCV-LPを用いて細胞表面との結合様式の解析が可能である。しかしながら、このHCV-LPは感染性を持たないため、レセプターの機能的研究には必ず しも適さないという難点もあった。  次に、HCVレセプターの探索に有用なのは、シュードタイプウイルスを利用した実験系である。Matsuuraらは、水泡性口内炎ウイルス(VSV)の エンベロープ蛋白であるG蛋白の代わりに、HCVエンベロープを持つシュードタイプVSVを作製した(Matsuura et al., 2001)。このシュードタイプVSVの感染にはE1とE2両方のエンベロープ蛋白を持っていることが必要であること、種々の培養細胞株に対する感染性を 調べた結果、ヒト肝細胞癌由来HepG2が最も高い感受性を示したこと、この感染はVSVに対する抗体では中和されないこと、などが示された。HepG2 細胞をヘパリナーゼで処理することによって感染効率の著明な低下が観察された。これらの成績から、HCVのE1、E2蛋白を持ったシュードタイプVSVの 感染には細胞表面の蛋白分子及び硫酸多糖が重要な働きを演じていることが示された。Cossetらのグループ(Bartosch et al., 2003)とMcKeetingらのグループ(Hsu et al., 2003)が、相次いでE1、E2蛋白を持つシュードタイプレトロウイルスを作製した。このシュードウイルスの感染侵入にはCD81が細胞吸着因子として 働く可能性が示されると同時に、CD81のみでは不十分で、SR-B1および未同定の因子(肝細胞特異的コファクター)が必要であることも報告された。

(6) 感染性ウイルス粒子産生系の構築
 2005年、Wakitaらは東京慈恵会医科大学付属第三病院の劇症肝炎症例の急性期血清からHCV株Jikei Fluminant Hepatitis 1 (JFH1)を分離した。このクローンを用いてレプリコンを作製したところ、これまでに報告された他のHCV株よりも培養細胞における増殖効率が良いこと が明らかとなった(Kato et al., 2003)。さらに、全長のウイルスゲノムRNAをHuh7細胞に導入することにより、ウイルス粒子が産生された(Wakita et al., 2005)。このウイルス粒子は新たなHuh7細胞に感染性を示し、その感染はHCVのエンベロープに対する抗体やHCVの受容体と考えられている CD81に対する抗体で阻止された。また、培養細胞で作製したウイルスは短期間ながらチンパンジーにも感染した。この系により、ウイルスの感染から分泌ま での全ての過程が培養細胞内で解析可能になった。  さらに、米国のChisariらはレプリコン細胞をインターフェロンで治療し、レプリコンを除いた”Cured”細胞Huh7.5.1を開発した。この 細胞株にJFH1ウイルスRNAを導入したところ、先のHuh7細胞に比べて早く大量の感染性ウイルスを産生させることに成功した(Zhong et al., 2005)。Riceらは完全長のJFHゲノムのうち、構造領域を他の株由来の構造遺伝子と組み替えたキメラウイルスを作製し、さらに効率の良い感染性ウ イルス粒子産生系を構築した(Lindenbach et al., 2005)。  JFH-1株は遺伝子型2aに属するが、この株ほど培養細胞で効率よく複製するHCV株は他にない。なぜこの株は特殊なのだろうか?C型肝炎の病態はウ イルスと宿主の相互関係により規定される。まずウイルス遺伝子について他の慢性肝炎株と比較した。その結果、遺伝子の変異はNS5A領域に最も多いことが 判明した。さらに遺伝子領域の機能について解析するとJFH-1株のNS3ヘリカーゼ領域とNS5Bから3’X領域が、培養細胞における効率の良い複製増 殖に関わっていることが明らかとなった(Murayama et al., 2007)。さらに JFH-1株の生体での感染性をチンパンジーで解析した。培養細胞で作成したJFH-1ウイルスをチンパンジーへ接種すると一過性の 感染しか起こさず、血液中にウイルスを検出したのが2週間のみであった(Wakita et al., 2005)。抗HCV抗体は検出できず、肝組織像は正常であった。Riceらにより開発されたJ6CF株とJFH-1株のキメラウイルスでは106 TCID50のウイルスを接種することにより感染が接種後7週から17週目まで持続し、抗HCV抗体も検出された。しかし、肝障害は観察されなかった (Lindenbach et al., 2006)。JFH-1株は劇症肝炎患者から分離されたが、チンパンジーに対する感染性と病原性は低いと考えられた。チンパンジーでは人よりもHCV感染 による肝障害の程度が低いことが知られているが、それだけでは説明が難しい。やはりJFH-1株による劇症肝炎はウイルスの性質だけでなく感染時の患者の 状態にも依存していたと考えるべきである。JFH-1と似た性質のウイルスの分離やJFH-1が持続感染化した時のウイルスの性質の変化などを解析してい く必要がある。  JFH-1は培養細胞で効率よく複製し、感染性ウイルス粒子を産生する。JFH-1株は遺伝子型2a のHCV株であり、日本をはじめとする多くの国で主要なHCVが遺伝子型1aまたは1bであることから様々な試みがなされている。同じ遺伝子型2aや他の 遺伝子型のHCV株の構造領域遺伝子を持つキメラウイルスが作成された(Lindenbach et al., 2005, Pietschmann et al., 2006, Yi et al., 2007, Scheel et al., 2008)。自然感染においてもウイルス株間の組み換えがNS2領域で報告されているが、NS2の最初の膜貫通領域のC末端で組み換えると一番ウイルス産 生効率が良いことが示された(Pietschmann et al., 2006)。また、ウイルス産生効率の悪いキメラウイルスの場合も適合変異によりウイルス産生が向上することがある(Yi et al., 2007, Scheel et al., 2008, Sekine-Osajima et al., 2008)。キメラウイルス産生系によりすべての遺伝子型の抗原性を持つウイルス粒子を複製増殖させることが可能であり、交差中和活性の解析ができる。 

Copyright 1998 National Institute of Infectious Diseases, Japan

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